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能登半島地震のこと①
2024年1月1日。
新しい年の幕開け・・・という時に、大きな地震が襲いました。
能登地方を中心に、甚大な被害を受け、200人を超える方が犠牲になりました。
亡くなられた方へ哀悼の意を表すとともに、被災された方にお見舞い申し上げます。
1月1日は、元日営業をしておりました。
今年はコロナ禍が完全に明けて、初めてのお正月だったと思います。
射水神社方面へのお客様が過去2年よりも多く、道中の大仏様にも多くの方が来られました。
元々16時閉店予定でしたが、当店にも多くのお客様に来ていただき、少し過ぎての店しまい・・・という矢先に、大きな揺れが襲いました。
4分前にも能登地方で最大震度5強の地震がありましたが、その揺れは感じず、スマホの通知で知って、
「怖いな、こっちの揺れはどのくらいだったのだろう」と思った直後の出来事。
店内にお客様はいらっしゃいませんでしたが、スタッフはすぐに屋外避難。
大仏前にもまだ多くの方がいらっしゃいましたが、幸いにも周辺で倒壊などの被害はなかったため、大きな混乱にはなりませんでした。
元日で屋台もいくつか出ていたのですが、すぐに火を消してくださったので、無事でした。
店内も軽いものが落下するなどはありましたが、割れる・壊れるといった物損はゼロで済みました。
高岡の城下町ができた「高岡台地」の地盤の強さに、守っていただいたのかもしれません。
その後、石川県能登では大津波警報、富山県でも津波警報。
国内で大津波警報が出るのは、2011年、あの東日本大震災以来。
海からは距離があり、高岡台地の上でもある当店はおそらく大丈夫・・・ですが、知人友人など周辺にいる人のことを考えると、本当に気が気でない状況。
SNS上などで避難を呼びかけました。
余震の恐れもある状況ですが、他のスタッフが帰った後もしばらく店内に留まり、情報収集に努めました。
その後、所属する博労防災士会から、地元博労小学校の避難所が開設されるとの連絡があり、そちらの動員へ行くことになりました。
SNS上で博労小学校周辺でも道路被害(千保川に架かる木津橋など)の情報があったので、念のため歩いて博労小学校まで移動。
18時頃に到着した時点では、すでに避難所の設営は完了しており、多くの方が避難されておりました。
また、その後も次々と避難の方が来られ、多い時で100人近くの方が避難されました。
その間も余震で、緊急地震速報があり、すごく不安な夜となりました・・・。
元日の体育館は、とても寒い。
床は場所によってはござ1枚のみで、羽織るだけでなく床に敷くためにも毛布が欲しい・・・。
備蓄庫と体育館の行ったり来たりを繰り返しました。
避難者の方で、とても頼もしく動いてくださる方がいらっしゃったので、本当に助かりました。
その後、余震も落ち着いてきた21時頃には、避難者の多くが帰宅されました。
避難所で一夜を過ごされた方は、20名ほどでした。
その頃、高岡市内の他の避難所で、毛布が足りないという話があったので、搬出作業を手伝いました。
避難者が減ったことにより、私は夜間いったん帰宅。
津波警報が解除されるまでは、営業は危険と判断し、amida coffeeは翌2日の営業を取りやめ。
その貼り紙をするため、帰宅する前にいったん店に寄りました。
翌2日朝、再び避難所の動員に入りましたが、その頃には一夜を過ごされた避難者の方も全員帰宅されることになったため、
9時頃をもって避難所は閉鎖となりました。